そのままでいい、夫のスマホとわたしの時間

亡き夫のこと

亡き夫のスマホが出てきた日。

ひとり暮らしの小さな家には、
かつて家族4人で暮らしていた頃の荷物がまだ、ぎっしりと残っています。

ずっと手をつけてこなかった主人の私物。
ようやく「そろそろ片付けようかな」と思って開けてみたら…

出てきたんです。スマホが2台。

なぜ2台?笑
思わずツッコミを入れたくなるほど、意外な発見。

1台はガラケー。
もう1台は、亡くなる直前まで使っていたスマホでした。


入院中、スマホを一生懸命隠していた夫。

思い出しました。

入院していたあの頃、
夫はスマホを私に見られないように、
一生懸命、布団の下でコソコソと操作していた。

「何してるの?」「見せてよ」とは、言わなかった。

でも彼は、亡くなる前日までスマホを手にしていたんです。


今、私はそのスマホと向き合っている。

電源を入れれば、たぶん…まだ見られるはず。

写真、LINE、検索履歴、通話記録。
全部、見ようと思えば見られる。

けれど。

見ていいことがあるのか?
それとも、見ないほうがいいのか?

スマホが目の前にあると、
どうしても「見たい」という気持ちも出てくる。

でも、だからこそ
いま私は、自分の中で葛藤しています。


そっと、そばに置いておこうか。

「きっと大切な何かが詰まってる」
そんな気がする。
でも、それを開ける勇気が、今の私にはまだない。

今日は、スマホに触れずに、
ただ近くにそっと置いて、過ごしてみようと思います。


読んでくださりありがとうございます。
「故人のスマホ」って、意外と身近なテーマかもしれませんね。
同じような経験をされた方がいたら、そっと教えてください。

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